左手のピアニスト、館野泉

舘野泉さんは、日本で最も著名な演奏家の一人であるだけでなく、脳溢血による半身不随という障害を乗り越えて、二年のブランクののちに、奇跡的なカムバックをして讃えられている稀なピアニストです。左手のピアニストとして築いた独自のスタイルが、両手のピアニストであった時とは違う透明度を深め、左手だけでとは信じがたい力のこもった演奏が名状しがたい音の世界を醸し出しているのです。


左手だけのピアノ演奏は、知られざる感動の系譜をもっています。フィリップ・エマニュエル・バッハが、最初の左手のための四小節を作曲したのは、彼が生来左利きだったからではなく、左手に右手と同じ権利と可能性を与えてやりたかったからと言われています。


19世紀後半に最初の左手の演奏家となったハンガリーのゲザ・ズィチィは、少年の頃、猟銃の事故で右腕を失いましたが、音楽は失った腕以上のものを彼に与えてくれたのです。師事したフランツ・リストのよき友でもあったズィチイは、左手の演奏家の興味ある生涯と、華麗なリストの隠れた人間性を書き残しました。左手の演奏はまさにリストにより芸術に昇華したのです。


ズィチィに続いたのは、オーストリアのパウル・ヴィトゲンシユタイン、哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄でした。その波乱にとんだ生涯は、デヴュ直後に第一次世界大戦の前線で右腕を失ったことから始まりました。野戦病院で簡単な手術を受けた片手の捕虜として、ロシアのオムスクの収容所から彼が故郷の師に書いた最初の手紙は、左手の曲を作曲してほしいというものだったのです。復員後、再手術して左手のピアニストとなった彼は、一流の作曲家に左手の曲を依頼しました。モーリス・ラヴェル、リヒアルト・シュトラウス、パウル・ヒンデミット、ベンジャミン・ブリット等々。演奏されないまま消えていたヒンデミットの”Klaviermusik mit Orchester (für die linke Hand) op.29 ”は、2002年にニューヨークで発見され、同年ベルリンフィルでレオン・フッッシャーが初演されました。


第一次世界大戦で負傷した演奏家は少なくありません。病気で右腕が使えなくなった人もいます。だが、そのような宿命を克服しようとした人々の不屈の魂は、左手の才能を発見し、その本領を発揮させたのです。ヴィトゲンシュタインに続く左手のピアニストは何人かいましたが、その歴史を継いで、さらに両手で弾くことのできないピアニストに希望を与えているのが、舘野泉さんなのです。日本で最大のファンクラブを持つこのピアニストの演奏は、彼が両手の演奏で日本を代表するピアニストであった時に劣らない、あるいはそれ以上の感動を人々に与え続けておられます。


舘野泉さんは1936年東京生まれ。東京芸大首席卒業後これまでに行った演奏会は4000回に及び、、リリースされたCD,LPは130に上ります。そして数々の賞を受けられました。現在は日本とフィンランド双方を行き来する生活をされています。

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CD
東日本大震災支援
「仙台フィルのためのコンサート」

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